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劇団青年座「赤シャツ」観てきました

2012年11月22日
 ふた月にいっぺんのお楽しみ、「ねりま演劇を観る会」の観劇会。11月の公演は劇団青年座の「赤シャツ」です。
 
 赤シャツってなんじゃらほい、と思う方も多いかもしれません。わたしもそうでした。解説を読むまでは「一体なんのお話だろう?」と思いました。
 
 実はこれ、夏目漱石の「坊っちゃん」に出てくる主人公の敵役、陰湿な悪玉である「赤シャツ」を主人公に据えて書かれたオハナシなんですね~。
 
 物事を180度反対側から観ると、こういう解釈もできるのか・・・なるほど!と唸らされること間違いなしの傑作だと思います。

 傑作などと大上段から書いたそばからお恥ずかしいですが、実は私、「坊っちゃん」をきちんと読んだことがありません。というか、最初の1ページで挫折したクチです。

 中学生時代、アメリカのSFやらスペースオペラやらを読みあさっていた夢見がちなSF少女だった私、純文学というものにまったく興味が持てませんでした。「坊っちゃん」のセリフのほとんどがカギ括弧でくくられずベタ打ちの文章だから、とても読みづらく感じたのも原因の一つです。

 例えば、こんな感じ。
 『人が丁寧に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来たまえアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀を心得ぬ奴の所へ誰がいくものか。』
 といった調子です。

 それでも、一般常識程度には内容を把握しているつもりです。主人公・坊っちゃんは一本気な気性の正義漢で、四国の旧制中学校に着任したばかりの新人教師。対する赤シャツは教頭で、嫌みで、敵役・・・くらいの知識ですが。

 で、今回の「赤シャツ」という劇に坊っちゃんは陰ボイスのみで、姿はいっさい登場しません。物語は坊っちゃんが着任する少し前から始まり、坊っちゃんがやってきて、去るまでを赤シャツこと教頭の目線で描いています。

 赤シャツは四国の旧制中学校の教頭をしている帝大出身の文学士で、いわゆるインテリ。文学をこよなく愛し、音楽を愛し、野蛮な争いごとは大嫌い。戦争に行きたくないので徴兵されないよう策を弄したが、そのことで年の離れた弟に軽蔑されてしまい、傷つく繊細さも持ち合わせている。
 「親譲りの八方美人で子どもの頃から苦労をしている」は、本人の弁。

 女性的な雰囲気で話し方もナヨナヨしていて、第一印象はちょっと嫌みな感じ。しかし、話が進むにつれ、他人への気遣いを人一倍持ち合わせている人物で、その思慮のある振る舞いに好感を抱くようになります。脚本も役者さんの演技力も優れていて、「実はいい人なんじゃん」と思わせる説得力があるのです。

 さらに、原作でも美貌とすぐれた内面を賛美される「マドンナ」も、この「赤シャツ」では少し違います。婚約者(原作の”うらなり”。親同士が取り決めた婚約である)がいるにも関わらず、帝大出身のインテリである教頭に恋い焦がれ、ストレートに言い寄る大胆な令嬢として描かれています。

 教頭は、彼女の薄っぺらな内面を鋭く見透かし、うかうかとその求愛に応じることはありません。
 マドンナの婚約者は、教頭の部下にあたる英語教師。うらなりのことを、芸術や文学への想いを分かち合える数少ない友と見なしている教頭は、うらなりともっと仲良くしたいと思っています。そんな彼から婚約者を奪おうなどという気持ちは微塵も持ち合わせていないし、人に悪い噂を立てられたくもない。

 教頭に拒絶されたマドンナはストーカーまがいの行動を取り始め、それが人目に触れて噂が噂を呼び、事態はあらぬ方向に向かってしまう。とうとう「教頭がマドンナに横恋慕し、彼女を奪うためにうらなりを延岡の学校に左遷させた」という、正反対の話に膨れあがってしまいます。

 事実は、マドンナが一方的に婚約破棄を言い渡し、それを苦にしたうらなりが自分から転勤を願いでたのだが、世間はそう取らない。単純な”坊っちゃん”と、一本気なことで性格の通じる”山嵐”は憤慨し、赤シャツを闇討ちして殴る蹴るの暴力を加えます。

 それでも教頭は、坊っちゃん・山嵐を訴えることはしません。それまでも、彼らの一本気で粗暴な言動を嘆きつつ、それとなく庇ってきたのに、単細胞な彼らは気づくことも感謝することもありません。挙げ句、坊っちゃんは悪い思い出だけを胸に、松山を「不浄の地」とまで言い放って去っていきます。
 
 上司を襲って怪我を負わせても警察沙汰にならず、無事に東京に帰ることができたのに、なんという恩知らず。今なら実刑判決を受けて刑務所行き間違いなしですが。

 この劇には、誤解が重なって苦境に陥る教頭のリアクションが面白いというだけでなく、あの事件を反対側から観たら実はこうだったのか! そういう解釈もありかも! と納得させられてしまう展開や、単純な正義がいかに馬鹿げたことか思い知らされる内容がいっぱい詰まっているように感じます。

 
 ”恋人の横取り”が例え本当のことだったとしても、暴力に訴える直情的な行動が「正義漢」のすることでしょうか。「相手が悪いことをしたのだから制裁を加えてもいい」という主人公の思考回路はかなり問題です。まして、こんな男を名作文学の主人公として長年愛してきた日本人にも、そういう考え方が悲惨な戦争を生むのだという自覚と反省が必要なのではないでしょうか。

 物事には表と裏があり、一方向から見た「正義」だけで一方を「悪」と決めつけ、制裁を下すことがいかに馬鹿げたことなのだという気持ちになりました。
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